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いづしん@管理人


本名 : い○○ しん○○○

(本名も"づ"だと思っとる人たくさんいます・・・)

実家 : 岸和田市額町、家の目の前には鳥居。庭には何故か由緒ある井戸が…

←いづしんの実家にある井戸

 

枯れてません、飲めるかどうかは知りません。

試したことのある無謀勇気のある人いないので・・・

昔は飲めたようですが。

 

 

 その井戸は、かの久米田池を掘った行基の掘った井戸で「菅の井」(すがのい)というらしい・・・

菅は菅原道真の菅でどうやら天神さんがあったようだ。

今でも額と額原の紋には梅鉢(天神さんの紋)がありますね。その名残でしょう。

ちなみに家から徒歩10秒のところに「菅原神社参道」っていう碑があります。

この情報はテレビ岸和田がまだ始まったばかりの頃、「我が町再発見」という番組があり、そこで額町についての放送があり、そこで紹介された。

そのビデオは何回も見たので久米田合戦のことも、鳥居のこともそれを参考に書いています。

残念ながら井戸についてあまり詳しいことは知らないです・・・

どうも何かの本に載っているらしいのですが何の本かさっぱりわかりません。

知っておられる方情報提供をお願いいたします。


あれ?自己紹介のはずが井戸紹介になってしまった!

まあ自己紹介は下の表を見てもらいましょう。   

 


〜私のだんじり年表〜

出生 1979年3月7日 だんじりばやしを聞きながらこの世に生を受ける・・・

なんていうことはなく、平凡な春の日に(旧)岸和田市民病院で産まれる。

(3月ですから・・・)

幼少期 親に岸和田の試験曳きを見に連れて行かれる。小門で見たけど怖かった記憶あり。

(だって目の前で事故が・・・あれは子供には刺激が強すぎる・・・)

しかしそれ以後だんじりを好きになり、大工方の踊りを練習する。

小学校に入る前に八木地区すべての町を見分けれるといった末恐ろしい?才能を披露する。

少年期1 岸和田市立八木南小学校に入学。

小学校に入ってからは祭りに参加するようになる。

しかし低、中学年時はもっぱら纏付近か後ろ梃子の後ろを走るだけ

体が小さく足が遅かったので曳けなかった。

体が小さかったと言っても筋金入りの小ささだった。

小学校1年の身長はかろうじて1mを越えたところ・・・

高学年に入って曳くようになる。

このころ笛を買ってもらい練習に励むが今ではその笛はどこに行ったのか・・・?

少年期2 久米田中学校に入学。

中学生になってからも曳いていた。

青年期1 近畿大学附属和歌山高校に入学。

学校が忙しく青年団に入らず。例年祭りの時期に定期試験があった。

あの10月9日にだんじりを曳いているのを横目で見ながらテストへ向かう・・・

あれは辛かったなぁ。

太鼓を聞きながら勉強ができるはずもなく、この時期のテストは毎年散々・・・

祭りは見物および写真・ビデオ撮影だった。

青年期2 東京理科大学に入学。

T部体育局スキー部入部、3年時にスキー部会計を務める。

またT部体育局本部第24代書記長・第25代副局長を歴任。

ただし2度の留年歴を持つ。

東京(千葉県だけど)で一人暮らしをはじめ、やっぱり青年団には入れなかった。

しかし毎年祭りだけは帰ってきた。でも見物・・・

体力の方は4年間のスキー部(クロスカントリー)経験でなんとか・・・

でも普通に走るのとちゃうなぁと激しく実感

2000年から青年団
入団!2000年度祭礼に数年ぶりに参加

今後・・・

2003年4月から奈良先端科学技術大学院大学で博士前期課程(修士課程)。

大阪に戻ってきました。

2005年4月からは20年続いた学生生活にピリオドを打ち社会人に。

在阪非有名?電機メーカーに就職。

現在、額町拾五人組(後梃子)。

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