岸和田市9月祭礼地区

大阪府岸和田市の秋祭りには、9月祭礼の旧市地区&春木地区が有ります。
また 岸和田市には、山手地区10月にも同様な だんじり祭があります。
同じ市内 同じ岸和田型(下だんじり)の祭礼ですが、運営元の年番会も別運営です。

岸和田市旧市地区 主年表
・1703 元禄16年
 岸和田藩・第三代城主 岡部長奏 三の丸に伏見から稲荷を勧誘し五穀豊穰を念願す、9月
 26日27日の祭礼に庶民の城内三詣を許す。
 その頃の台車(現在の だんじりの前身?)五尺に二尺五寸程の「車付き曳き台車」で、太鼓
 打ちの老人が乗った神楽獅子台が城内三詣したのが、始まりの一説。

 他にも色々な説が、始まりとされていますが 確かな記録としてはなく 現在宮入先「岸城神 
 社」への五穀豊穰お礼参りが 始まりとした説も有ります。

・1745 延享2年
 領主から大幟四本 岸和田御宮・稲荷社に献納される。また町中へ印付の小幟二十本と、 
 わく入りの太鼓一つが下げ渡される。喜んだ 子供らが御城中及び岸和田城下をはやして 
 回り これが祭礼の始まりの1説とも。

・同年 北町茶屋新右衛門発案で、初めて藩から御神灯の許可を得て、町々に吊るした。

・1750 寛延3年
 芸事(俄)の他にも 子供相撲・本相撲を殿様に御覧に入れる。
 子供中心の祭礼太神楽と新興のほか、曳きだんじり(屋根付きの簡易台車と予想)の上で、
 子供相撲、飛び入り相撲が行われた。

・1752 宝歴2年
 八月の お宮祭礼を、浜町・百姓町が勤める。浜方あり合わせ物で作られた「神輿」「だんじ
 り」を繕い、曳き出す。

・1785 天明5年
 北町の油屋治兵衛が、古い泉大津型だんじりを買い入れるが、城門を潜れない(高さが高過
 ぎる)為 柱を仕替えて城内に曳き入れる。(のちのち からくり屋根と替わる)
 ※からくり屋根とは…大屋根(主屋根)の柱が上下に移動出きる屋根 舞台などの せり上 
 げ舞台と同等な構造。(現・岸和田市だんじり会館展示 旧・五軒屋町 唯一現役使用中の 
 長滝中ノ番だんじりが、現在そのまま残ってます。

・1827 文政10年
 冬、天守閣が雷火で焼失したが、その後再建されなかった。

・1838 天保9年
 年番と云う文字が、公文書に記録有り この頃 村地区3台 濱地区7台 だんじりが保有さ
 れていたとされてます。

・1841 天保12年
 岸和田市だんじり会館に展示中の 紙屋町先代だんじりが4年かかりで出来上がる。
 彫り物裏に「岸極」の焼き印判が各所に押され藩政の名残り 奉行所役人の出張検査を受 
 けた証であり、岸和田だんじりの初期特徴となります。
 


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