御手洗団子の由来

みたらし団子は御手洗団子と書く。そして御手洗祭りが深く関わっている。

この御手洗祭りとは、下鴨神社の本殿東側を流れる御手洗川、そして御手洗社があり、7月の土用の丑の日に御手洗池に足を浸けると疫病が祓われるという言い伝えから、参詣人が膝までひたり、無病息災を祈るという行事である。

この神池に足をつけ、燈明をお供えし、御神水を戴くと諸病にかからず、延命長寿の霊験あらたかと言い伝えられており、神池からとれた小石は鴨の神石という。かつては社殿の下に年中つきることのない井泉があり、御手洗川を流れて糺(ただす)の池へ注いでいたが、加茂川改修後の水位低下で水が枯れ、現在は祭の日にポンプで水を入れているということらしいが・・・本当に御利益はあるのかは定かではない。。。

この御手洗詣での日には、いつしか神社の境内に串団子を売る店が登場し、御手洗詣での名物となり、ついには「御手洗団子」と呼ばれるようになったという説が一般的な由来のようだが、その時のものが団子5つを竹串に刺し、醤油のたれで付け焼きにした団子だったのである。また、みたらし団子の由来にはもう一つの説がある。時は鎌倉時代、後醍醐天皇が行幸の折り、下鴨の御手洗池で水をすくったところ、泡がひとつ浮き、やや間をおいて四つの泡が浮き上がった。

その泡にちなんで指頭大の団子を竹串の先にひとつ、やや間をおいて四つ連ねて団子をさしたのが、御手洗団子の起源となったという説である。昔はこれを一串一束とし、熊笹で扇型に包んだという。形は俵型で人体を形代として模したものであり、神道独特のまじない的意味をもち、食べた者の健康を祈願したのは言うまでもない。
余談ではあるが、現代のみたらし団子は1串に4つが定番だが、その昔5粒5文で売っていた。そして4文銭ができてから、四粒四文にかわったのである。
これを関東型御手洗団子(かんとうがたみたらしだんご)というのは有名な話である。

 

民明書房刊 『団子に見る古代日本の和菓子』より一部抜粋

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