柏餅の由来

 柏餅とは、柏の葉っぱの上に、上新粉とくず粉(片栗粉)を混ぜてつくった
「しんこ餅」に、あんを挟んだものを置き、柏の葉を二つ折りにして包んだお菓子の事である。
柏の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちないという特徴があり、
これを「子供が産まれるまで親は死なない」=「家系が途絶えない」という縁起に結びつけ、「柏の葉」=「子孫繁栄」との意味も持つ。

 

 また、「かしわ」は、食物を包んだり、覆ったりした植物の葉の総称で、「炊葉(かしぎば)」の転じた語ではないかともいわれている。
 かしわの葉はしなやかで、食物を盛るのには都合がよく、古くから食器として使われてきたのである。
 柏の葉を利用するのは、東北・信越・関東地方で、関西以西の各地では、山帰来(さんきらい)の葉を代用している地方もある。

 

 柏餅が日本の歴史に登場したのは、徳川九代将軍の家重〜十代将軍の家治の頃だと言われているが、 その理由は俳句の季語を記した書物「拝諧初学抄/齋藤徳元」(1641年)には五月の季語として「柏餅」が記載されていないのに対し、1661〜1673年頃に成立した「酒餅論」には柏餅が紹介されていることが理由である。
 以上の説明から、柏餅じたいは、中国から渡ってきた端午の節句行事には、元は含まれていない食べ物だったという事がわかるであろう。
 形そのものは安土桃山時代からあるが、柏餅が端午の節句に登場するのは、江戸初期(1661〜1673)頃である。

 

 また、柏餅を包む柏葉の表を内側に包むのは、あんの柏餅で、葉の表を外側に包むのはみそとする区別が多い。 みそあんの方は、砂糖利用以前の古い調理法の名残で、原型を平安時代の「葩餅(はなびらもち)」にまでたどることができる。
さらに古い形は奈良時代の「伏兎(ふと)」に当たると言われている。

 

 余談ではあるが端午の節句は昭和23年 (1948) に「子供の日」として国の祝日に制定されたのは周知の事実である。

 

大無限寿出版刊『和菓子するなら柏餅-ベスト100』より

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