ドーナツの由来はかなり古く、1780年代はすでにヨーロッパにあった。
当時としては非常に高級なもので、クリスマス、あるいは復活祭、または誕生祭とかに家庭で作られ、
お互いプレゼントし合っていた。これがアメリカ大陸に広く伝わった。1874年頃である。
ドーナツの歴史は古く、言語はドウ(生地)ナッツ(ウオナッツ落花生等)で
生地に木の実等を練り合わせて油で揚げたものであった。
余談ではあるが(財)製粉振興会によれば、穴の開いた形のドーナツの起源には2つあるそうだ。
1つには、アメリカに渡ったイギリスの清教徒たちによって作られたという。
彼らがオランダに立ち寄った際に小麦粉の生地を揚げたものに、クルミをのせたお菓子の作り方を覚え、
新大陸でも作ろうとしたがアメリカではクルミが手に入らずに、代わりに真中に穴を開けて揚げたという説。
2つ目は19世紀の中頃、アメリカのハリソン・グレゴリーという船乗りが、母親がドーナツ作りをしているのを見て、
中が生っぽいこともあり、どうせなら真中に穴を開けて揚げればいいのではないかと思い、
母親に頼んで穴の開いたドーナツを作ってもらったら、うまく揚がっていたというのが起源という説もある。
あんこと言えば、一般的に思い浮かべるのが小豆の餡だが、餡は元来「餅や団子の中に入れるもの」という意味。
中国が発祥で、調味した肉や野菜などの詰め物を指していた。それがなぜ、日本では小豆餡に変わって言ったのか。
餡が最初に日本に渡ってきたのは、推古天皇の時代。遣隋使が持ち帰ったものの中で、肉餡があったと考えられる。
奈良時代に唐から新しい菓子の製法が伝わり、平安時代には菓子の種類も増えて、
米粉、小麦粉、豆粉などで作った皮に、肉や野菜の餡を入れたものがあった。
鎌倉時代になると、禅とともに点心の風習が中国から伝り、禅寺院では餅や饅頭のほか、
羊羹などの羹類、饂飩・索麺などの麺類を点心として食していたが、肉食は禁じられていた。
そのため中国から帰化した林浄因が、禅僧もたべられるように、肉餡の代わりに小豆を餡に加工した饅頭を考案。
1349年のことで、これが日本での餡の起源と言われている。
また、小倉百人一首の藤原忠平の歌に「小倉山、峰の紅葉ばこころあらば今ひとたびのみゆきまたなん」
というのがある。
粒あんを紅葉の鹿子模様にみたてて、後の句”今ひとたびの・・・では、もう一度食べたいと美味をたたえている。
本来小倉というのはこしあんに大納言あずきの蜜煮(皮を破らないように炊いたもの)を混ぜたものを言っていた。
小豆は鉄分、食物繊維、ビタミンB群に富み、低カロリー。皮にはポリフェノールも多く含まれ、
日本人は小豆をあんこにすることで、その恩恵を上手に受けてきたのである。
あんどうなつとは、中世ヨーロッパと日本が生み出した伝統の菓子であり、
ドーナツの中に餡を入れ油で揚げただけの日本の素朴な菓子であるのは言うまでもない。
無限寿新聞社刊 『なにわ流行JUST NOW』より