阪神・淡路大震災を想う   

 

 1995年1月17日午前5時46分。6,434人の尊い命を奪い、未曾有の大惨事を引き起こした阪神・淡路大震災から12年が経とうとしている。復興した街並みを歩きながら、みんなの心はどうだろうかと複雑な思いに苛(さいな)まれる。
 震災から15日後の2月1日、読売新聞に掲載された「あなたにもらった翼で大空へ翔び立ちますー母あて”20歳の手紙”悲しー」を抜書きして想いをつないでみたい。

 神戸大学法学部2年加藤貴光さん(21)−広島市ーは、西宮市のマンションで圧死した。同居中の単身赴任中の父・宗良さん(44)は実家に帰っていて無事だった。
 「国連職員か国際ボランティアになる」のが夢で、自宅に留学生をホームステイさせ、韓国へも交流に行った。
 丑年生まれで愛称は「ウシ」。荷物を持ったおばあさんを見つけると「飛んでいって手伝うようなやさしい子でした」と母・律子さん(46)。貴光さんは入学する時、神戸まで送った律子さんのコートのポケットに手紙を忍ばせた。地震後、遺体安置所で、いつも免許証入れにはさんである手紙を読み返した母は、あふれる涙を抑えることができなかった。

 親愛なる母上様

 あなたが私に命をあたえてくださってから、早いものでもう20年になります。これまでに、ほんのひとときとして、あなたの優しく温かく大きく、そして強い愛を感じなかったことはありませんでした。
 私はあなたから多くの羽根をいただいてきました。人を愛すること、自分を戒めること、人に愛されること……。この20年で、私の翼には立派な羽根がそろってゆきました。そして今、私はこの翼で大空へ翔び立とうとしています。誰よりも高く、強く自在に飛べるこの翼で。
 これからの私は、行き先も明確でなく、とても苦しい”旅”をすることになるでしょう。疲れて休むこともあり、間違った方向へ行くこともあることと思います。しかし、私は精一杯やってみるつもりです。あなたの、そしてみんなの希望と期待を無にしないためにも、力の続く限り翔び続けます。
 こんな私ですが、これからもしっかり見守っていてください。住む所は遠く離れていても、心は互いのもとにあるのです。決してあなたはひとりではないのですから……。
 それではくれぐれもおからだに気をつけて、また逢える日を心待ちにしております。
 最後に、あなたを母にしてくださった神様に感謝の意をこめて。
             翼のはえた”うし”より


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