「加藤先生とお孫さんとの心の交流」

 
 
奥さん、由理さんとお孫さんに囲まれて 加藤正三先生がお浄土へ帰られて2月5日で3ヶ月になる。色々なことが胸の中に去来するが、その後も奥様やご長女の田代由理さんに電話でお話を伺ったり、お手紙を頂いたりしている。
 先生は、お孫さんの話になると目を細めて喜ばれておられた。昨年の5月19日に関西国際空港近くのゲートタワーホテルにご夫妻で宿泊された。ホテルの窓から離着陸する飛行機を眺めながら、「孫たちをここに連れてきて、存分に飛行機を見せてやりたい」とおっしゃっていた。いつの日にかお孫さんが、先生の想いをもって来られることを楽しみにしている。
 由理さんからのお便りと写真から、一部を抜粋して転載し、先生の2人のお孫さん(直洋(なおひろ)くん、皓大(こうだい)くん)への心遣いと加藤先生への想いを改めて思い起こしたい。


 平穏だった私たち家族が、ガンと闘い始めたのは、2年前の12月でした。最後まで「生きる・生き抜く」という強い信念のもとで生活し、その反面、慎重な性格の父は、常に最悪の状況を考え「今しかないこの一日を大切に」ということで、今年の夏休み、6歳になる孫の直洋に時計の見方を教え、昆虫の生態系をわかりやすく説明し、散歩の途中でサワガニを見つけたり…。来年の夏は来ないと確信した行動でした。
 どこかで、奇跡が起き、復活してほしいといつも願い続けましたが、残念な結果となりました。
 お父さん、棺の上の白いお花は、大切に育てた孫の直洋と皓大からの最後のプレゼントです。

(加藤先生葬儀告別式の遺族代表あいさつより)

 今日、インフルエンザにかかった直洋が病院から戻る車中で「ぼく、おじいちゃんと同じ小学校の先生になり、同じ学校で勤めたい」と言いました。うれしくて涙が出ました。直洋、皓大とも父のことが大好きで、亡くなった今も仏壇の前に座り、「おじいちゃん、また来るね」と笑顔で話しかけています。
 父が伝えきれなかった数々の事を、母と2人でしっかり伝え、岸和田の方へ出向き、父がお世話になった皆様にお礼を述べたいです。

(孫に対する父への思いより)

 初孫の直洋が誕生したのは、平成12年7月10日午前11時55分でした。父が産院に顔を見せたのは、午後2時を過ぎた頃でした。なんやかんや言いながら、毎日、顔を見に来てはさっと帰りました。退院してからの1ヶ月間、毎日の直洋の沐浴が父の日課でした。5ヶ月の時、直洋が嘔吐と下痢で入院したときも、父はずっと付き添いをし、直洋も父がいると安心していたことを今でも鮮明に記憶しています。直洋くんの初節句
 初節句には、少ない年金から思い切り見栄を張り、高価な鎧兜を購入し、5歳になったらそれをかぶることを楽しみにしていました。2歳になると、父は直洋をあちこちへ連れ出し、自然とのふれあいを教えていました。
 父がお浄土へ旅立った今も、母は「玄関の靴はきちんと揃えなさい。いつもおじいちゃんが言ってたでしょ」と、涙を浮かべながら笑っていました。
 もう父の肉声は聞こえませんが、確かにしっかりと直洋の心の中に父は生き続けています。
(父と孫たちとの思い出より)

 


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