職場復帰は難しい
2008年1月5日から病気休暇となり、4月5日からは分限休職となって、同年11月25日に復職した。3月末に課長補佐が退職、このことは、前年の6月に決まっていたこと。4月以降も自身が復帰できないことで、業務に支障が出ることが当然、予測された。結果、課長の休職期間中の代役を務める参事に配置が決定。副市長からは、病気がきっちり治るまで出てこなくても良いようにした旨、聞いていた。有難く思いながら、メールで参事に事務の引継ぎをした。その参事も1ヶ月も持たなかった。自ら退職の道を選んだ。5月にその事実を知ったが、そのときは首の手術を待っていた時期だったので、自分のことに精一杯だった。そんなこともあって、首の手術も成功し、精神病院の薬も徐々に抜けて行き、10月末頃に精神科の主治医にそろそろ復職を考えてはどうかとの打診があった。一度は退職まで考えたのに、ここまで回復するとは、自分で頑張ったことが評価されたのかなと勘違いらしい思いがした。本当は、家族や職場においては部下、上司に大変な迷惑をかけていた。本当に職場復帰できるのか。そこから、また至難の道が始まった。
更新日時:
2009/10/04
新たなる決意
11月始めに、復帰の目途を職場や、上司、また人事課に連絡した。11月11日から復帰したいところが、どうもそう簡単にはいかないらしい。人間、病気したら休むのは当たり前、病気が治ったら、仕事をするのは当たり前。大先輩の言った言葉が脳裏に残っている。療養のきっかけになった、精神科の主治医の就労可能証明がありながら、復職できない理由とは?人事課に掛け合った。その結果、判明したのは新たに8月から参事が補充され、自分が復職すると、うまく行かないようだ。受け入れが出来るまで、待つように言われた。当たり前だ。11ヶ月もの間、課員を放っておいたのだから。ここで、新たなる決意が必要になった。どうせ11ヶ月待ったのだから、人事課の言うように、返事が来るまで何も考えずに待っていようと自分自身に言い聞かせた。
更新日時:
2009/10/04
遂に復帰したが?
やはり、様子がおかしい。自分は完全に浮いている。課内は4月からきた課長補佐と8月からきた参事とで回っている。自分の出る幕は無い。多分自分の居ない間は課員は大変な思いをしている。いまやっと、参事と課長補佐で仕事が何とか回るようになったところへ、自分が復帰してしまった。うまくいっている状態を壊したくはない。たまたま、参事とは昔、一緒に仕事しているのでお互いのことはある程度知っている。気の使い合いの日々が続く。来年4月には、自身が人事異動になることもある程度、体感できている。それまでは、この体制を壊さないようにしなければ。参事には最後の最後まで気を使ってもらった。感謝している。
更新日時:
2009/10/14
新天地で再出発
約7年ぶりに教育委員会に戻る。今度は総務課長として。しかし、小学校の新設があり、学校施設の耐震化があり、課員も良くがんばってはいるが、常にハッパをかけざるを終えない状況になってきている。超過勤務、休日出勤が当たり前になってきていることに、一抹の懸念を抱きながらも、また来年度に降りかかってくる新たなる業務への備えを主査と2人で考えている。
更新日時:
2009/10/14
増員1名のはずが
総務課2年目、新規事業でもって、増員1名を勝ち取る。がしかし、入ってきたのが定年後の再任用職員。しかも勤務時間4/5とは、どういうこっちゃ。しかも、楽な仕事しかしない。そして4ヶ月目にして病気休暇とは、トホホ。ついてないなあ〜。再任用は定数外にすべきだと断固主張する。権利で居座られちゃたまらない。しかし、この1年を堂乗り切るか、また主査と考えなければならないと思っている。
更新日時:
2010/07/19

PAST INDEX FUTURE

ホーム プロフィール 年表・病歴 整形外科 精神科 耳鼻咽喉科
脳神経外科 職場について 比叡山 マラソン リンク集


Last updated: 2010/7/19