幼年期 左耳の中耳炎、中学まで続く。
小から中学生のころ、昼間、盛んにあくびがでてよく教師に叱られる。一度、病院で診察を受けるよういわれ、市民病院の内科を受診した。結果、体質的にかなり疲れやすいとのこと(多分、この頃から夜に寝ることが下手だったように思う)
高校受験に際し、午後は柔道のクラブ活動、夜に勉強するも肩こりが酷くてよく母親に揉んでもらった。
就職後、蕁麻疹が出るようになり、薬の服用を始める。
26歳にして、高血圧の診断を受け、降下剤を服用
28歳当時、急激な視力の低下、半年で2.0から0.6に。(現在0.01)
30歳位から、あんま・マッサージ・指圧・鍼灸に通いだす。
32歳にから酷い花粉症がでる。
37歳のとき、左耳の鼓膜再生術を受ける。
45歳に、喘息発作が始まる。また、この時期肩こり賀一段と激しくなり、整形外科を受診、初めて頚椎脊柱管狭窄症の診断を受ける。そして、睡眠がうまく取れなくなり、心身症となる。精神科に通院、うつのの薬を処方される。人間ドックの心電図で、過去に心筋梗塞の後があることを指摘される。このころから、糖尿病の薬を服用。
50歳のときに、思い切って精神病院を受診。(現在に至る、ただし、現在は安定剤数錠を処方)
53歳にして、倒れる。整形外科・耳鼻咽喉科・精神病院を掛持ち通院。最後に脳神経外科にたどり着く。頚椎の手術の後、蕁麻疹以外はほぼ正常な状態まで回復。体調が良くなり過ぎて、10キロマラソンに2回参加。結果、左耳がボロボロになる。鼓室形成術を受けるも、耳管の調整機能に問題があり、術後4ヶ月経っても、左はいまだに、プールに潜った状態になっており、日常生活には、さほど支障はないものの、第一線で激務をこなさなければならないことから、特にコニュニケーションが必要な場面では、はっきりと支障をきたしている。
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