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食養の話 食医(石塚左玄) |
一八五一年に福井に生まれた食養家・石塚左玄翁は、当時の栄養学がタンパク・デンプン・脂肪のカロリーによって説明 されていることに反対し、日本人は次の五つの原理に基づいた食べ方をしなければならないことを明らかにしました。 |
食物至上論 陰陽調和論 穀物動物論 一物全体食論 身土不二論 |
食物至上論 |
一口にいえば、「命は食にあり」と「病は口にあり」ということです。「養生訓」では「食事も修養」という言い方をしていま す。現代では食事がレジャー化されて、グルメなどという言葉が流行るほどですが、単に欲望を満たす行為と考えてはい けないのです。 一般に栄養価値が高く、消化の良いものは、食べるのが楽ですからおいしいと感じます。不消化物は無用と考えて取り除 き、白砂糖で甘味をつけ、化学調味料をたっぷり使った方がおいしく感じるのです。 消化の必要もないので胃腸は楽になりますが、その反面、内臓は退化が進みます。歯は抜け、胃腸はその機能を失って、切 断除去しなければならないということになります。 「食事は楽しく食べなければならない」とよくいわれますが、ここにも落し穴があります。汗を流して働けばうまいものもま ずいものもありません。空腹でもないのに食べるのでは楽しいはずの食事も楽しくありません。それを無理して楽しもうとす れば、味付けを工夫し、消化吸収のよいものにするしかないのです。こうしたことが健康に良いわけはありません。 病気の元凶はこんなところにあるのです。 また、「よく噛む」という当たり前のことすら軽視されるのは大きな問題です。 石塚左玄翁は「粉砕し、唾液と混じえて飲み砕かせる穀物が最良である」といっています。消化のことを「こなす」と言いま すが、これは、よく噛んで「粉なす」ことからきている言葉です。左玄翁の提唱する玄米食では、先ず、よく噛むことが要求 されますし、食べ過ぎることはありません。おかずもわずかの野菜や海草、豆類、油、味噌、醤油で足りるし、小魚などで現 在の栄養学者がいうところの標準栄養構成は十分に可能です。 「食は生命なり」とはまさに、このことを言っているのです。 TOP |
陰陽調和論 |
これは自分の身体の類型によって陰陽の食物を選んで食べると言うこと。漢方でいう正食には、食物にも陰性(身体をひ やす)食物と陽性(身体を温める)食物というように区別があります。 この中で玄米は、陰陽のバランスが最もよい食べ物になっているのです。大きく分けていえば、動物性食品は一般的に陽 性です。植物性では地下に延びていくものは陽性で、地上を延びていくものは陰性です。 また、調理法によっても陰陽が変わります。煮炊きをして熱を加えると陽性になります。太陽光線に当てて乾燥させると、や はり陽性になります。 この際太陽エネルギーをよく吸収したものほど強い陽性になります。たとえば、シイタケは生の時は陰性ですが、干し椎茸 になりますと、陽性に変わって身体を温めます。逆に陽性のものでも塩漬けにすると陰性に変わります。 野菜や果物を生で食べ過ぎると、身体を冷やすのをご存じですか。ビタミンCを取れと言われて、ミカンをたくさん食べてい る人が、疲れるとと訴える。これは明らかにミカンによって体を冷やした結果です。 また、酢を飲むと疲れが取れるといいますが、酢は陰性で陰証(冷える体質)のひとは飲み過ぎに注意しなくてはなりませ ん。「青汁療法」も同様で、飲み過ぎると体が冷えてしまい腎臓病になったり湿疹がでたという例もあります。 陰性食品で特に気を付けたいものに、白砂糖があります。最近の食物をみると、砂糖を多く使ったものが目立ちます。折角 温めた食事をとっても砂糖をたくさん入れたものでは、その効果は半減してしまいます。 お年寄りにとって甘いジュースやアイスクリームがよくないと言われるわけはここにあります。 一般に取りたての穀物や野菜は、体を冷やす傾向にあります。新米もその一つです。 江戸時代の名医、和田東郭は、腎臓病で長く寝ている人は陰性で陰証になっているから、新米を食べてはいけないと言っ ています。古米を使ってお粥をつくり、その中にコンブをいれて食べよと言っています。 ※古米には温める作用があるからです。新米の精白米は、陰性食であると同時に一物全体食からもはずれるます。 TOP |
穀物動物論 |
人間は本来、肉食動物でも草食動物でもないということ。大自然の中にあって人間はもともと何を食べるべきなのかと いうことについて、左玄翁は次の点に着目しました。すなわち、歯の形と数、歯とあごの形、噛む時の動き、腸の長さな どです。これらによって、明かに人間は穀物つまりデンプンを主食とする動物である確信をを得ました。穀物といっても 精製されたものではありません。米でいうなら玄米です。自然に調和すべく人間の《規格》がここにあります。 |
一物全体食論 |
食物は、なるべく全体を丸ごと食べよということ。皮をむいたり、骨やはらわたを除いたりしないで、生きているも の全部を食べる。食品には陰陽の別はあっても、生きているものはすべてそれなりに陰陽の調和が保たれているも のだから、全体を食べるのが理想なのである。 あらゆる生物がすこやかに成長発育するためには、生体内における酸性とアルカリ性のバランスが保たれていな ければならない。小魚は小魚でこのバランスを保って生きているのであるから、丸ごと食べれば、それを食べた人 体もバランスを崩されることはない。 野菜や果物、その他のあらゆる食物についても同じことが言える。牛でも豚でも全体を食べれば何の害もないの だが、このような大動物になるとそうもいかず、骨も内臓も捨ててしまうのでその害もたちどころに出ることにな る。 もっとも全体食と言っても中には毒の部分があって、それを取り除かなければならないものもあります。 しかし、日 本では私達の祖先が、長い間主食にしまた好んで食べてきた穀物、野菜、海草、魚、貝は全体食としてなんら支障 がありません。それどころか、祖先が選び残してくれたこれらの食物は、全体食によってより効果的で合理的なも のとなるのです。 TOP |
身土不二 |
その土地、その季節のものを食べよということ。体とそのおかれている風土とが、一体となること。不二は一つであるとい う意味です。 その土地の環境によって食物もことなり、生活の様式もことなるのであるから、みだりに他国の食習慣をまねたり、外国の 食品を食べてはいけない。その土地、その地方に先祖代々伝わってきた伝統的食生活には、それぞれ意味があるのだから その土地に行ったらその土地の食生活を学ぶべきである。「郷にいっては郷にしたがえ」です。 百貨店、スーパの食料品売り場には、ありとあらゆるものが四季を通じて豊富に並んでいます。季節感というものはほとん どありません。自然のリズムを無視した姿がそこにあります。 人類は高度な文明を築く程に進歩しましたが、自然との調和に関しては後退の一途をたどっているのです。 |