阿弥陀寺だより

平成20年秋季 第18号
  
あの世で夫に報告するため
  老衲 野口正晧


 平成16年11月20日付、朝日新聞「声」欄に掲載された宝塚市の主婦、大富良子さん37歳のことばを紹介します。

 10月15日の昼前、電話が鳴った。主人がその日に仕事に出ていた造園工事の現場からだった。「ご主人の顔に石が当たった」というのだ。病院へ行く準備をしながら胸騒ぎがした。震える手で電話をかけ直すと親方が出てきて泣きながら「すんません。亡くなられました」。
 体のふるえが止まらなかった。主人との8年間がすごいスピードで思い出されて涙がこぼれた。帰ってくるのが当たり前、そばにいるのが当たり前だと思っていた主人が38歳で旅立ってしまった。
 葬儀も終わり、主人の死にも意味があるのだと思うようになった。
 「『当たり前』」などない。だからこそ一日を大切に暮らすこと」。主人から宿題を出された気がした。
 今後、難題もあると思う。主人を心から愛したこと、主人から愛されたことを胸に、答えを見つけ出していきたい。 幸いに話を聞いてもらえる義理の父母と夫の妹さんもいる。あの世で主人と再会するとき、「私もがんばったよ」と報告できるようになりたい。
 残念なのは、夫が夢に出てこないこと。たまに出てくれるとうれしいな。



「いい加減」な人生
  
住職 野口泰宏

 今年の夏は、例年になく暑い日々の連続でした。皆さまお身体にお疲れなど出ていませんか? さすがにこう暑い日が続くと「もう、いい加減にしてほしいわ」と思われませんか。
 その「いい加減」ですが、私はずっと良くないことを指す言葉だと思っていました。 物事をきっちりしない人のことを「いい加減な奴だ」とか、あまり良い意味には感じませんでした。
 しかし、それは私の浅はかな感じ方である事に最近気づきました。「いい加減」という言葉には、もう一つの意味合いがあることを先輩から教えられたのです。
 昔、お風呂を薪(まき)でわかしていた頃には、
「お湯加減はどう?」
「ああ、いい加減や」
といった会話がかわされていました。
 ぬるま湯や熱すぎるお湯だと「いい加減」とは言いません。人間誰しも程よい加減である「いい加減」が一番よい状態なのです。
 料理についても味加減が大切です。甘さ加減、塩加減などをうまく調合するのが料理人の腕前と言われます。
 私たち日本人の人生の過ごし方も今、反省を迫られています。つまり、
 金もうけもいい加減に、
 ぜいたくもいい加減に、
 働くのもいい加減に、
 名誉欲もいい加減に、
 長生きもいい加減に、
と言われるようになってきたのです。何事も「いい加減」にするということ、それは、ゆとりのある生活につながるように思われます。
 その人その人の体力や能力に応じて、ごく自然に暮らしていく「足るを知る」というのが、仏教の中道の教えです。
 足るを喜べない飽食の生活をもう「いい加減」にしないと自分の健康だけではなく、資源を浪費し、地球環境まで破壊してしまうのではないでしょうか。


9月23日(祝)午後1時半から、お彼岸のおつとめをします

 例年のとおり、お彼岸の法要を中日(9月23日)におつとめさせていただきます。
 今年の彼岸の入りは、9月20日(土)となります。彼岸花
 ご先祖や有縁の方のご回向をいたします。
 皆さんお誘いあわせのうえ阿弥陀寺へお参りください。
 法要のあと、前住職の法話を予定しております。



阿弥陀寺だより  ちょっといい話   浄土宗のページへ   トップページへ