阿弥陀寺だより

平成22年秋季 第27号
  
「恩を知る」ということ
     阿弥陀寺住職 野口泰宏

 今年の夏の暑さは例年にない暑さでした。それもようやく終え、秋の気配を感じるようになってきました。
 さて、お経のなかに「一人の人が一日生きていこうとすると、十万の生き物の命をいただかねば生きていけない」と教えられております。一粒のお米も、一本の大根も、もちろん一匹の魚も皆、尊い命を持っているのです。この尊い命の犠牲によって私たちは生かされていることに思いをいたすべきです。
 先日、あるお寺の門前にこのような句が書かれてありました。
「夕食にカニを食べた カニの一生を食べた カニさん尊い命をありがとう」
 まさに私たちは尊い命を犠牲にしてくださった一匹のカニに頭を下げて感謝すべきでしょう。日本人は昔からこのおかげさまということを大切にし、日常のいろいろな言葉を通じて、その意義を伝えてきました。
 しかし今、世知辛い世の中にあって、もはや「恩」という言葉はすたれてきたのでしょうか。学校でも「恩」ということを教えなくなってきているようです。
 最近の話題で申し上げますと、無差別な殺人、果ては親子間での殺しあいなど、数え切れないほどの事件がほぼ毎日のように起こっています。
 恩を知ることは、この世での徳を積むことになります。 ぜひ今日からは、皆様方「尊して徳とれ」で毎日を過ごさせていただきましょう。 
   合掌


お十夜の法要を
11月17日午後7時30分から
つとめます


 お十夜のおつとめを11月17日(水)午後7時30分より、念仏講と併修して阿弥陀寺でおこないます。
 お十夜とは『無量寿経』というお経の中に「この世で十日十夜、お念仏に励むことは、極楽浄土で千年修行することよりもすぐれている」「十日十夜お念仏に励めば、必ず阿弥陀さまを見ることができる」と説かれていることから、毎年、秋の中頃に営まれている法要です。
 おつとめの後、西之内 西光寺住職・寺尾昌治上人の法話を予定しています。
 皆さんお誘いあわせの上、老若男女を問わず、お参りくださいますようお願いいたします。


ちょっとひと息
「お念仏の称え方」


 あるご老人が菩提寺の和尚にたずねた。
「和尚さん。お念仏の称え方は、どうしたらいいのでしょう。ナムアミダブツという人もあれば、ナンマンダブツという人もあり、ナンマイダー、ナマイダーなど、色々に称えるようですが、ご利益に変わりはないのでしょうか」
 和尚は老人を姓で呼んだ。
「山田さん」「ハイ」
 そしてたずねた。
「山田さんは家ではなんと呼ばれてますか」
「そうですねぇ、妻からはアンタですか。何も呼ばずにチョットだけの場合も…」
「息子さんやお孫さんからは?」
「息子からはおやじ、またはじいちゃん、嫁からはおじいちゃん、孫はまだ小さいのでジジなんて呼んできます」
「それと同じですよ、お念仏も。親しい人に呼びかける仕方でいいのです」



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