阿弥陀寺だより

平成25年春季 第37号
  
本当の豊かさとは

  皆さんは最近、靴下のほころびを縫ったり、あるいは縫ってもらったりしたことがありますか? 大部分の人は、破れてるのなら新しい靴下にはきかえるでしょう。
 物を大事にしなくなりました。それは、いつでもすぐに替わりの物があるからです。 お正月でもお盆でも、どこかの店は開き、真夜中でもコンビニが開いていて、困ることがありません。
 昔のように、料理にも洗濯にも掃除にも、時間をかける必要がなくなってしまったのが、今の日本です。物が豊かになって便利になると、なにもかもに手をかけるのが面倒になり、大切なものが何かということを見失ってしまいます。
 「手塩にかけて育てる」という言葉があります。「自分ですべての面倒をみて、大事に育てる」という意味ですが、子どもが少なくなった現在は一人当たりの子どもに使えるお金の額も多くなりました。ですから塾や習い事などにお金をかける「手金をかけて育てる」時代になってしまいました。
 社会が忙しくなったことで、大人たちは時間に追われ、がまんすることができません。ですから、それを見ている子どもたちまでそうなってしまいます。
 忙しく働いて、いくら物が豊かになっても、心の豊かさが育たないかぎり幸せとは言えません。
 まず、ひとつの物を大切に扱う、ひとつの物をみんなで分けあうということで心の豊かさを育てたいものです。


春季彼岸会のおつとめは
3月20日(祝)午後1時半から


 例年のとおり、春季彼岸会の法要をつとめます。
 今年の彼岸の入りは3月17日(日)です。
 ご先祖や有縁の方々のご回向をさせていただきます。先立たれたご先祖を偲び、感謝の気持ちを皆さんと一緒にささげましょう。
 なお、ご回向の後、前住職による法話も予定しております。
 ご家族、ご近所お誘いあわせて、阿弥陀寺へお参りください。


毎日のおつとめ
日常勤行式 その6


 前号に引き続き、毎日のおつとめ「日常勤行式」を少しずつ見ていきましょう。

  
本誓偈(ほんぜいげ)
 お経の功徳を、極楽往生のためにふりむける心でおとなえします。

 弥陀本誓願(みだほんぜいがん)
 極楽之要門(ごくらくしようもん)
 定散等回向(じょうさんとうえこう)
 速証無生身(そくしょうむしょうしん)


(意味)
 阿弥陀如来の本願(念仏を称えるものはもれなく救い取るというお誓い)は、極楽浄土に往生するための肝要な門です。
 すべての善根功徳(善いおこない)をふりむけて、すみやかに生と死を超えた身となりましょう。


「何かをしよう」

   皆の人の為になる 何かをしよう
     よく考えたら自分にあった何かがあるはずだ
       弱い人は弱い人なりに
       年老いた人には老いた人なりに…
    生かされて生きている
    ご恩返しに小さい事でもいい
    自分に出きるものを探して
    何かしよう
    一年草でも
     あんな美しい花をつけて
     終わっていくではないか

                             (坂村真民詩集より)
寒椿


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