阿弥陀寺だより

平成27年春季 第45号
  
「今、すべきこと」
      住職 野口泰宏

 年をとる「老いる」ということは、私たちには止めることができません。どうあがいても、この世に命を受けた限りは皆が持つ宿命(しゅくめい)です。
 お釈迦さまは次のように言われました。

 
「時間はあっという間に過ぎてゆき、昼と夜も移り変わっていきます。若さも少しずつ消えてゆきます。この恐ろしさをしっかりと見つめて、良いことをして心の安らぎを得なさい。世間的な欲望を捨て、静けさを目指すのです」

 時間はまたたく間に過ぎ去り、いつかは必ず死がやってきます。この厳然たる事実から目をそらさずに、やるべきことをしなさい。そうすれば心の安らぎを得ることができるだろう。そのようにお釈迦さまは説かれています。
 では、やるべきこととは何でしょうか。お釈迦さまは次のような言葉で、毎日を漫然と過ごして老いることへの危険性を警告されています。

 
「学ぼうとしないものは牛のように老いる。その人の肉は増えるが智慧(ちえ)は増えない」

 時間というものは、どんな時にも同じペースで進みます。気を抜いているとあっという間に置いていかれます。
 私たちは学び続けなくてはなりません。少しでも早く、自分は何をしたいのかを考え、そのために必要なことに取り組まなくてはならないのです。 恐怖と戦うべきではありません。老いから目をそらさず、ちゃんと見つめれば安らぎへと向かうきっかけとなるのです。良い人生を送れるように今、やるべきことをやっていきましょう。



春季彼岸会のおつとめは
 3月21日(祝)午後1時半から


  〜毎年よ彼岸の入に寒いのは(子規)〜

 今年も春の彼岸が近づいてきました。
 今年の彼岸の入りは3月18日(水)です。
 例年のとおり、春季彼岸会の法要をつとめます。
 ご先祖や有縁の方々のご回向をさせていただきます。先立たれたご先祖を偲び、今生かされている感謝の気持ちを、皆さんと一緒にささげましょう。
 なお、ご回向の後、前住職による法話も予定しております。
 ご家族、ご近所お誘いあわせて、阿弥陀寺へお参りください。
 暖かな春の日射しは、すぐそこまで来ています。たまには、暖房や冷房に頼らず、外を歩いて季節感を味わってみてはいかがでしょうか。



法然上人のお歌から学ぶ その2

  池の水 人の心に 似たりけり
     濁り澄むこと 定めなければ

 (いけのみず ひとのこころににたりけり にごりすむこと さだめなければ)

 
(意味)
  庭の池の水をつくづく眺めていると、時には澄み、時には濁っています。
  人の心もそれに似ていて、信仰の喜びに包まれているかと思えば、次の瞬間には煩悩の心がわき起こってきます。
  何とも心もとないことですが、このような私であればこそ、ただ阿弥陀さまの本願力を頼み、お念仏申しましょう。


 このお歌は、法然上人が自分自身の心の動きをよまれたものです。つまり、法然上人ほどのお方でも、ふだんは澄みきっている池の水が、何かの拍子に濁ってしまうのと同じ様に、その心が乱れ、煩悩にとらわれてしまう事があるという事を認めておられるのです。
 私たちは、ある時には他人に対してあわれみの心(仏心)が起きたと思えば、ある時には、人をねたんだり、憎んだり、うらんだりしてしまいます。これこそが「欲」「煩悩」のしわざなのです。
 このような私だからこそ、阿弥陀様にすべてを委ね「こんな愚かな私ですがどうかお救いください」と手を合わせるのです。


 


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