阿弥陀寺だより

平成29年春季 第53号
  
「見えないもののありがたさ」
      住職 野口泰宏

 私たちは、多くの生き物を食べて今の命を維持しています。食べ物にも命があります。
 また、水や日光、空気など生きるうえで必要な環境を与えられています。それらは基本的には無料です。
 暖かいおひさまの光や胸いっぱいに吸える空気があることを「当たり前」と思いがちですが、そのどれもが「当たり前」ですまされているところに人間の行き詰まりが生まれます。
 当たり前の反対語は「おかげさま」です。ふだんは目に見えない「かげ」の力に対し、感謝のしるしとして「お」と「さま」をつけて「おかげさま」と表現されます。
 「当たり前でなくなって、はじめて知るありがたさ」とか、
 「咲いた花見て喜ぶならば、咲かせた根っこの恩を知れ」といわれるのはそのためです。
 人は皆、一人だけの力で生きていくことはできませんし、自分のためだけに生きるものでもありません。
 お互いが他者に力を与えるとともに、お互いが支えあってこその人間生活だと思います。 
 遠い昔から、長い時間をかけた命のリレーによって存在するのが「自分」です。そこには、目には見えない多くの「おかげ」があったことを今一度、考えてみましょう。

      
見えなくても
       お花を供えたい
     食べなくても
       おいしいものを供えたい
     聞こえなくても話したい
     見えざるものへの
       まごころは美しい

          
        合掌



春季彼岸会のおつとめは
 3月20日(祝)午後1時半から


  〜毎年よ彼岸の入に寒いのは(子規)〜

 今年も春の彼岸が近づいてきました。
 今年の彼岸の入りは3月17日(金)です。
 例年のとおり、春季彼岸会の法要をつとめます。
 ご先祖や有縁の方々のご回向をさせていただきます。先立たれたご先祖を偲び、今生かされている感謝の気持ちを、皆さんと一緒にささげましょう。
 なお、ご回向の後、前住職による法話も予定しております。
 ご家族、ご近所お誘いあわせて、阿弥陀寺へお参りください。
 暖かな春の日射しは、すぐそこまで来ています。たまには、暖房や冷房に頼らず、外を歩いて季節感を味わってみてはいかがでしょうか。



法然上人のお歌から学ぶ その3

  阿弥陀仏と 十声唱えて まどろまん
    長き眠りと なりもこそすれ

 (あみだぶつと とこえとなえて まどろまん ながきねむりに なりもこそすれ)

 
(意味)
  世は正に無常であります。いつ、どこでどんな事が起こってもあわてないように平素からお念仏に励みましょう。
  そして夜眠る前には南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と十遍のお念仏をして眠りにつきましょう。
  たとえそのまま長い眠りになっても。悔いなき様にいたしましょう。
  これはお念仏を信ずる人達のたしなみであります。

  昨今の私たちを取り巻く環境は、一寸先は闇のような状態です。
 各地でテロがあったり、天災地変、毎日報じられる事件や事故。また、社会に出ればストレスで心休まることのない毎日。塾だ、受験だと子どもは追い立てられ、大人になれば会社に勤めて、ノルマだ、成績上げろと追い立てられ、あげくの果てにリストラや過労死へと追い込まれます。
 いつ、どのような事が起きるかわからない娑婆世界の無常の身ですから、法然上人は眠る前のお十念をすすめられました。
 いつも臨終であるという思いで布団に入りお念仏し、また朝起きることができたら、すがすがしい思いでお念仏するのです。

 


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