阿弥陀寺だより

平成29年秋季 第55号
  
「今こそ有り難し」
      住職 野口泰宏

 先日、こんな新聞の書き込み記事がありました。
 『ありがとうの反対語など今まで考えたこともなかった。教えてもらった答えは…「あたりまえ」。「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」「有難(ありがた)し」という意味だ。あることがむずかしい、まれである。めったにない事にめぐりあう。すなわち、奇跡ということだ。奇跡の反対は、「当然」とか「当たり前」。我々は毎日起こる出来事を、当たり前だと思って過ごしている。毎朝目覚めるのが、あたりまえ。食事ができるのが、あたりまえ。息ができるのが、あたりまえ。友達といつも会えるのが、あたりまえ。太陽が毎朝昇るのが、あたりまえ。うまれてきたのが、あたりまえ。夫(妻)が毎日帰ってくるのが、あたりまえ。そして、生きているのが、あたりまえ。』と書かれていました。
 お釈迦様は、「人の生を受くるはかたく やがて死すべきものの いま生命あるはありがたし 仏法を耳にするは難(かた)く 諸仏の世に出づるもありがたし」と説かれています。
 生きていることはあたりまえではなく、ありがたいことなのです。「死す」ことがあたりまえなのです。 そして「死す」前に極楽浄土に往き生まれることができるお念仏のみ教えをいただき、阿弥陀様に会うことができることは、欲やいかりや迷いを消すことのできない私たちにとって、奇跡といえるほどありがたいことなのです。
 そのみ教えを示してくださった法然上人は、
 「阿弥陀佛と 十声(とこえ)となえて まどろまん ながきねぶりに なりもこそすれ」(「ねぶり」とは「眠り」のこと)と詠まれ、翌朝は目が覚めないかもしれないと、命の終わりがいつきてもいいようにお十念をお称えされていたのです。
 私たちも「あたりまえ」と考えがちな「ありがたい」ことに気づき、感謝の気持ちを忘れず、「あたりまえ」である命の終わりが来た時に、阿弥陀様やたくさんの菩薩様、ご先祖様に迎えに来ていただけるようにお念仏をお称えする日暮らしをしていきましょう。

11月17日(金)午後7時半からお十夜のおつとめをします

 十夜法要は、阿弥陀さまの本願を信じ、お念仏の尊さを知り、感謝の気持ちを込めてお念仏をおとなえする法会です。これに加えて秋の収穫をご先祖に感謝する意味もこめられていたのかもしれません。
 ひとりではなかなかお称えしにくいお念仏も、みんなで一緒ならばお称えしやすくなります。共にお念仏を申しましょう。
 おつとめの後、泉大津・安楽寺ご住職の常住哲也上人による法話を予定しています。
 皆さまお誘いあわせて、お参りください。

年回忌のお知らせ

 平成30年、年回忌に当たっているお宅へ12月初旬に郵送でお知らせします。
 来年の年回忌はここのとおりです。



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