阿弥陀寺だより

平成18年春季 第6号
  

「師の言葉 その二」
   
住職 野口正晧

 先号に引き続き、亡師(丹羽貫誠)の言葉を書かせていただきます。
 師は昭和三十七年十一月三日、孤児養育など児童福祉に尽くした功績により、西日本新聞社から西日本文化賞を受賞し、次

いで永年にわたる更正保護事業に対し、勲五等瑞宝章、藍綬褒章を受章しました。
 翌四日付けの新聞より転載します。
 [社会文化部門代表 丹羽貫誠氏のあいさつ]
 「社会はすべての人たちの助け合いによって成り立ちます。その人間関係は尊いものだと思います。
 私たちの受賞もそのような社会のたまものであり、私たちに協力してくださったすべての人々に感謝いたします」

・その時の心境を表す一首
 育つ子と 育てる親のえにしをば たすくる人に唯合掌す
   昭和三十七年秋
       丹羽無碍子

・昭和四十一年二月十九日、私たちの結婚式に寄せて頂いた二首
◎野口家の 悦びあ婦(ふ)る壽を 正に晧里映恵(てりはえ)
 遠久(とわ)に保たん

◎豊後水道 荒磯の鴨児(おうじ)
 飛び立ちて 阿弥陀ケ池に 浮かぶ 宇礼志佐(うれしさ)

  無碍子

「苦しみを受け入れる?」

 漢訳仏典で「苦」と訳されている言葉の原語は「苦しい」という意味ではなく、本来は「思うがままにならないこと」という意味です。
 思い通りにならないことは、思い通りにできません。思い通りにならないことを思い通りにしようとした時に「苦」が発生します。
 だから私たちは、苦(思うがままにならないことを思うがままにしよう)にしてはいけないのです。
 たとえば、人間誰でも老いたくありません。いつまでも若くありたいと願います。しかし、時々刻々と老いていっています。
 老いたくない、若くありたいと願えば、そこから苦が始まるのです。
 老いることがいけないことだと考える物差しを捨てて、「年を取るのはどうしようもないことや」と、老いというものを受け入れてしまえば、苦でなくなります。
 昨年の夏は例年になく暑い夏でした。そんな暑い日に私たちは暑さをなくそうと苦しみます。でも、海へ行って海水浴をしようとすれば、暑さは苦になりません。暑さは暑さのまま楽しむことができます。苦が苦でなくなります。
 私たちは苦をなくそうと努力します。でも、苦をなくすことはできません。
 「苦がなくなる」のではなく、「苦でなくなる」ように苦というものを受け入れてしまう、これが、お釈迦様の説かれた解決方法なのです。

お焼香は何回? 線香は何本?

 先日、お参りした時に「和尚さん、焼香は何回したらよろしいんや」と質問されました。線香
 お焼香の回数、線香の数は、1・2・3回いずれでもよく、1回の時には、迷うことのない一心不乱の気持ちを表し、2回の時は、戒香(戒律)と定香(禅定)を表し、3回は三世(現代・過去・未来)の諸仏に捧げる、また三毒煩悩(むさぼりの心・いかりの心・愚かな心)を焼き尽くす意を表わします。
 つまり、回数にはこだわりなく、清い香りをお供えする気持ちを持って焼香や線香を立てればよいのです。
 お葬式などお焼香をする人数が多ければ、次の人にお譲りするため、1回のお焼香を、時間にゆとりのある時は、2回、3回とお香をお供えすればよいのです。
 お焼香は、親指・人差指・中指の3指で香をつまみ、顔の前まで頂いてから、静かに香炉にくべてください。


 


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