阿弥陀寺だより

平成31年春季 第61号
  
念仏する者の生き方
      住職 野口泰宏

 お念仏の生活というのは、何も特別なことをするわけではありません。
 今日一日、自分がこうして仕事をしているということは、多くの人々に助けられ、自分が仕事をさせていただいていることの確認なのです。
 自分の周りの人々や、自然との命の触れ合い、共に生き生かされる世界の中で、自分に目を向けるだけでなく、他の人々にも目を向けていく気持ちを常に持って、あらゆる面に私たちは合掌し、感謝の念を持ち続けていかなければならないのです。それがお念仏の生活です。
 お念仏の生活には余生と引退はないのです。
 私たちは他の人をかえりみず、自分が一番可愛いという思いがあり、自分勝手で利己主義でわがままいっぱいです。そして、わがままが強いために苦しみや悩みが出てきます。 すべてが自分のために存在しているわけではないのだから、当然のことのはずなのに、自分の思い通りにしたいと思ってしまいます。
 「欲深くて怠け者」の自分を常に戒めても、「掃けば散り 払えばまたも塵つもる 人の心も 庭の落ち葉も」というように次から次へと煩悩がわいてきます。
 煩悩は生きている限り、なくならないものだと明らめ、自分自身を甘やかさないで、「いのち」の不思議さと尊さ、そしてはかなさを知り、今日一日を大切に生かさせていこうと願うのです。それが念仏者の生き方なのです。
          合掌

春季彼岸会のおつとめは
 3月21日(祝)午後1時半から


 今年も春の彼岸が近づいてきました。
 今年の彼岸の入りは3月18日(月)です。
 例年のとおり、春季彼岸会の法要をつとめます。
 ご先祖や有縁の方々のご回向をさせていただきます。先立たれたご先祖を偲び、今生かされている感謝の気持ちを、皆さんと一緒にささげましょう。
 なお、ご回向の後、前住職による法話も予定しております。
 ご家族、ご近所お誘いあわせて、阿弥陀寺へお参りください。
 暖かな春の日射しは、すぐそこまで来ています。たまには、暖房に頼らず、外を歩いて季節感を味わってみてはいかがでしょうか。


法然上人のお歌から学ぶ その5

 極楽へつとめてはやくいでたたば 身のおわりにはまいりつきなん

(意味)
 遥かなる極楽浄土への旅立ちも、早く発心し、お念仏に励むならば、いまわの時には、必ずお浄土へ参り着くことができるでしょう。


 この和歌は、極楽浄土への往生を、「旅」になぞらえており、旅は朝早く出立するのが習いとなっており、遥かなる極楽浄土への旅立ちも、若い時から早く信仰に志し、お念仏に励むべきであることを勧めたお歌です。
人生とは無常なもの、若いとか年寄りだとかを言わず、お念仏とのご縁があった時には、素直にお念仏の信仰の道に入るべきであると思います。
 またこの歌は、奈良香久山の『法然寺』のご詠歌となっています。
 七十三歳の年、聖徳太子生誕の地として伝えられる飛鳥の橘寺に参拝された法然上人が、村人の請いによってお念仏の教えを説かれ、仏縁を結ばれたそうです。



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