阿弥陀寺だより

令和元年秋季 第63号
  
「永遠なるいのち」
      住職 野口泰宏

 今の日本は、世界に例のない早さで高齢社会にむかっています。
 年齢を重ねると、どうしても生きることより死というものを考えてしまいがちです。
 仏教では、煩悩を抱えた私たちが生きるということは「生老病死」の四苦であるといいます。生まれることと死ぬことは一対であり、生老病死のそれぞれが関連しあっていると考えます。
 「いのち」は漢字で書くと「命」ですが、和言葉としての「いのち」は「息」という意味が含まれています。息をすることが生きることで「いのち」なのです。
 「息を引き取る」と言いますが、これは残された者が先立つ人の息、すなわち「いのち」を引き継ぐという意味であり、その「いのち」を継承するという考え方が日本には昔から根付いてきました。
 私たちがこの世で生きる寿命も「いのち」ですが、「いのち」とは本来、過去から未来へと連綿と続く永遠のものなのです。
 浄土宗をお開きくださった法然上人はお念仏によって、この永遠の「いのち」と一体になることを勧められました。学問や知識をきわめたり、厳しい修行で悟りを得るのではなく、阿弥陀さまに身をまかせて生かさせていただくのです。そして、間違いなく阿弥陀さまと一体になった世界に気づかせていただいた時、本当の安心を得ることができるのです。
 お念仏の道は年齢に関係なく歩み出すことができます。連綿と続く「いのち」に思いを馳せ、終生教えを学び続けて互いに励まし合い、語らいあって、充実した一生を過ごしたいものです。
 このような生き方を目指せば、豊かで明るい高齢社会を必ず築けることでしょう。    合掌


11月17日(日)午後7時半から、お十夜のおつとめをします

 11月17日(日)午後7時半からお十夜のおつとめをします
 十夜法要は、阿弥陀さまの本願を信じ、お念仏の尊さを知り、感謝の気持ちを込めてお念仏をおとなえする法会です。これに加えて秋の収穫をご先祖に感謝する意味もこめられていたのかもしれません。
 ひとりではなかなかお称えしにくいお念仏も、みんなで一緒ならばお称えしやすくなります。共にお念仏を申しましょう。
 おつとめの後、佛教大学長・木積孝恩寺ご住職の田中典彦上人による法話を予定しています。
 皆さまお誘いあわせて、お参りください。


年回忌のお知らせ

 令和2年、年回忌に当たっているお宅へ12月初旬に郵送でお知らせします。
 来年の年回忌はここのとおりです。



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