阿弥陀寺だより

令和5年秋季 第76号
  
「死生(ししょう)ともにわずらいなし」

      住職 野口泰宏

 今年の夏も本当に暑い日が続きましたが、ようやく過ごしやすい気候になってまいりました。
 さて、私たちがこの世に生まれさせていただいたからには、みんな等しく平等に与えられるものがあります。何かおわかりでしょうか。
 それは、「老・病・死」というものです。つまり日々年老いていくということ、そしてどんな健康な人も一度は病気にかかる、そしていずれはこの世を去らねばならない死というものに直面しなければならないということです。
 「私には関係ない」「そんなことはまだまだ先の話や」「そんなこと考えてたら何もでけへん」と思われるでしょうが、いずれも人ごとではないのです。
 「生けらば念仏の功つもり 死なば浄土へまいりなん とてもかくてもこの身には 思いわずらふ事ぞなき」
 これは「生きている時は念仏の功徳が積み重なり、命尽きたならば浄土へ必ず参るのです。生きている時も、命が尽きてからも我が身には、思い悩むことが何もありませんよ」という法然上人のお諭しです。
 お念仏を申しているなら極楽往生は約束されています。 この世の命を終えた後も必ず必ずお浄土へと迎えとっていただく。死ぬとか死なないとか、病気になるとかならないとか、そんなことは気にせずに今日一日を全力でもって感謝の気持ちをもって生かさせていただく、これが念仏を申す者の生き方なのです。    合掌


11月17日(金)午後7時半から、お十夜のおつとめをします

 お十夜のおつとめを11月17日(金)午後7時30分より、念仏講と併修して阿弥陀寺でおこないます。
 お十夜とは『無量寿経』(むりょうじゅきょう)というお経の中に、「この世で十日十夜、お念仏に励むことは、極楽浄土で千年修行することよりもすぐれている」「十日十夜お念仏に励めば、必ず阿弥陀さまを見ることができる」と説かれていることから、毎年、秋の中頃に営まれている法要です。
 おつとめの後、旭堂南舟(きょくどう なんしゅう)さんによる「法然上人御一代記」の講談奉納を予定しています。
 皆さんお誘いあわせの上、老若男女を問わず、お参りくださいますようお誘いいたします。


年回忌のお知らせ

 令和6年、年回忌に当たっているお宅へ12月初旬に郵送でお知らせします。
 来年の年回忌はここのとおりです。


「正しいものの見方」とは

 昔、ある王が、象を見たことのない人を集め、目かくしをして象をさわらせた。そして、象とはどのようなものであるかを言わせたところ、 
 象の鼻をさわった人は、象とは馬車につなぐ曲がった轅のようなものと言い、
 牙(きば)をさわった人は、餅(もち)をつく杵(きね)のようなものと言った。
 耳をさわった人は、竹ざるのようなものと言い、
 頭をさわった人は、鍋のようなものと言った。
 背中をさわった人は、小高い丘のようなものと言い、
 腹をさわった人は、壁のようなものと言った。
 足の股(もも)をさわった人は、樹の皮のようなものと言い、
 脚をさわった人は、柱のようなものと言った。
 このように人は、「自分の目で見たり耳で聞いたりしたことが真実である」と錯覚することがよくある。
    (長阿含経より)


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