阿弥陀寺だより |
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令和6年春季 第78号 | ||
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無量の光につつまれて 阿弥陀仏のことを「無量寿仏」あるいは「無量光仏」とも呼びます。 無量寿仏とは、計り知れない寿命をもった仏という意味であり、無量光仏とは、計り知れない光明であらゆるところを照らす仏という意味です。 水をまいて現れる虹を見ると、もともとそこに隠れていた七色が、ある条件が整って姿を現したように感じます。見えない虹はそこかしこに潜んでいて、私たちは虹に囲まれて生きていると思えば、なにか幸せな気分になります。 阿弥陀仏が放つ光明は様々な徳性を持っています。一筋の光明に、たくさんの功徳が含まれ、それに照らされると苦しみが消滅していくと『無量寿経』に説かれています。 この仏の放つ光明は何物にもさまたげられることなく、宇宙の隅々まで照らし、この光に照らされると、自分自身を汚すむさぼりから解放され、清らかな心を得て、人々に対する怒りが消え去り喜びに満ちた日々を送ることができ、さらに知恵を得て、迷いの根源である愚かさが除かれます。 多くの功徳を持った仏の光は、さとりからほど遠い暮らしを送る私たちにとって、大いなる恵みをもたらしてくれるのです。 『無量寿経』は念仏往生を説くお経でもあります。それは「阿弥陀さま、おたすけください」という思いで南無阿弥陀仏と唱えることで果たされます。また私たちは同じ功徳が他者に行き渡ることも望みます。 大切な人が亡くなった時、その人が死後も穏やかであるようにと願い、災害や戦争などで命を落とした人が少しでも安らかであることを祈ります。その願いや祈りを形で現わすのが回向なのです。 大いなる光は遠いところで輝いているのではなく、水に反射した光が七色の輝きを映し出すように、いまここを照らしているのです。 合掌 |
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春季彼岸会のおつとめは 3月20日(祝)午後1時半から 今年も春の彼岸が近づいてきました。 今年の彼岸の入りは3月17日(日)です。 例年のとおり、春季彼岸会の法要をつとめます。 仏教では、苦しみに充ちたこの世を此岸にたとえ、一切の苦しみを離れた充足の世界を彼岸にたとえます。 人生の苦しみがあるからこそ、お浄土への願いがあるのです。 おつとめでは、ご先祖や有縁の方々のご回向をさせていただきます。 先立たれたご先祖を偲び、今生かされている感謝の気持ちを皆さんと一緒に阿弥陀さまにささげましょう。 |
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