阿弥陀寺だより |
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令和7年春季 第82号 | ||
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知 機(ちき) ある時、釈尊は 「悪いことを知って悪いことをするのと、知らずに悪いことをするのとでは、どちらが罪が重いと思うか」と、ある弟子に尋ねられました。 弟子は「はい、悪いことを悪いと知らずにするのは仕方ありません。だから、その罪は軽いと思います。しかし、悪いと知って悪いことをするのは許されないことです。したがって、その罪は重いと思います」と答えました。 すると釈尊は再び 「ここに焼け火ばしがある。これをそれと知ってつかむ者と知らずにつかむ者とでは、どちらが大きなやけどをするだろうか」とお尋ねになりました。 弟子は「焼け火ばしであることを知ってつかむ者は、十分に注意してつかみます。つかめば、どうなるかということを知ってつかみますから、つかまないようにします。したがって、やけどをすることも軽くてすみます。 しかし焼け火ばしであることを知らずにつかんだ者、たとえば赤ん坊などは大やけどをするにちがいありません」と答えました。 すると釈尊は、にっこりと大きく、うなずかれました。 そして弟子は、この「焼け火ばし」のたとえで、はじめの釈尊の質問に対する自分の答えが間違っていたことに気づきました。 無知というのは悪気はないから責められないけど、罪深いものです。仏教で「知機」(吾が身のほどを知れ)を強調するのは、このためです。 「機」とは人柄のことです。 自らを「罪悪生死の凡夫」であるという自覚から信仰がはじまり、我が力ではなく、「南無阿弥陀仏」、阿弥陀さまを頼りとしてのお念仏ひと筋の道を歩みましょう。 合掌 |
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春季彼岸会のおつとめは 3月20日(祝)午後1時半から 今年も春の彼岸が近づいてきました。 今年の彼岸の入りは3月17日(月)です。 例年のとおり、春季彼岸会の法要をつとめます。 仏教では、苦しみに充ちたこの世を此岸にたとえ、一切の苦しみを離れた充足の世界を彼岸にたとえます。 人生の苦しみがあるからこそ、お浄土への願いがあるのです。 おつとめでは、ご先祖や有縁の方々のご回向をさせていただきます。 先立たれたご先祖を偲び、今生かされている感謝の気持ちを皆さんと一緒に阿弥陀さまにささげましょう。 |
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